巡礼6日目。この日はウォークではなくバス移動で、この世の果てと呼ばれる、フィニステーレ岬へとやってきました。
岬の道標には、km 0.000と刻まれています。
今までの自分を脱ぎ捨てて、蘇ることができるという伝説の場所。熊野と同じ、蘇りの聖地です。
到着した途端に、それまで晴れていた空が一転し、靄がかかってきました。
辺りは一面、靄でなにも見えません。まさに、この世の果てといった雰囲気です。
岬の先にいる人々は皆、無言で靄の向こうを見つめています。
古の巡礼者は、ここで身につけているものを燃やしたそうですが、現在は衣服を燃やしたり、靴を捨てたりすることは禁じられています。
岬の一番先まで来て、一旦履いてきた靴を脱いで、見えない海を見つめていました。
歩くという行為は、自分と向き合わせてくれるのでしょうか。歩きながら、ずっと考えていたことがあります。
それが何なのかは、ここには書けませんが、今まで向き合うことを恐れていた感情。
サンティアゴ巡礼の道は、マリアの道と呼ばれることもあるそうです。
わたしが歩いたカミーノは、聖母マリアのように、ありのまま受け止めてくれる深い母性と、愛に溢れていました。
帰り際、また晴れて雲海の出た岬を振り返りながら、今回の巡礼の旅は、自分自身を受け止め、新しいスタートを切るための、本当に意味のある旅だったなあと…
そんな思いを胸に、脱いだ靴をまた大事に持って帰ってきました。
浄化と再生の巡礼の旅が、もうすぐ終わります。
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